「民事信託」・・・弁護士・吉川 愛
信託法は1922年(大正11年)に制定されてから、約80年間、実質的な変更がないまま存在している法律でしたが、2006年に大幅改正がなされ、2007年から施行され現在に至っています。まだまだ馴染みがあるという方は少ないと思われる民事信託ですが、徐々にどういうものかという興味を持たれる方も出てきていることから、民事信託について基本的な部分の解説を試みたいと思います。
まず、民事信託制度は何かということですが、一般的には、信託によって受託者が委託者から信託財産の完全な所有権を取得し、受益者は受託者に対し、信託の目的に従った信託財産の管理・処分行為についての請求権を取得するものと考えられています。
まず基本的なものとして、財産管理を目的とするものが考えられます。例えば、自分が保有している不動産の管理を長男に任せたい、というような場合には、自身の保有する不動産について長男を受託者、自身を委託者兼受益者として、信託契約を締結します。不動産は信託登記がなされ、委託者の財産とは隔離されることになります。受託者の財産とも隔離されることとなるため、長男が負債を負っていても、第三者から当該不動産を差し押さえられるようなことはありません。この上で、信託の目的をどのように設定するかにもよりますが、不動産が賃貸物件で、自分が判断能力を失った後には、これを処分して老人ホームなどの費用に充ててほしい、というような場合には、これらを内容とする信託目的と信託行為を設定します。受託者の業務については有償にすることも可能です。これによって、委託者が元気な時には賃貸物件の管理を長男が行い、老人ホーム入居の必要性が出てきた時には長男がこれを処分して当該費用に充当するということができます。
民事信託は財産承継の目的でも利用されます。自身が保有する不動産について、前妻の子に最終的には受け継いでもらいたいが、後妻にも世話になっているため、自分が死亡した後も、後妻が生存中は後妻に利用させ、後妻死亡後に前妻の子に引き継がせるというような事例が考えられます。このような場合、委託者は不動産を信託し、受益者は第三者になろうかと思いますが、自身の生存中は受益者を委託者本人、信託受益権について、本人死亡後は、後妻にまずは引き継がせ、後妻死亡後には権利帰属者として長男を設定するということになります。この場合、信託の目的は後妻の生活の安定のため、信託財産を生活の本拠として利用することができるようにすること、ということになるのではないかと思います。これにより、財産は後妻の親族に渡ることはなく、最終的には自身の長男が引き継ぐことになりますが、後妻が死亡するまでの間、後妻は当該建物に死亡するまで一生涯住み続けることが可能になります。
法定後見制度や任意後見制度と似たような側面もありますが、信託は財産管理や財産承継を目的としますが、身上監護はできません。また、裁判所の関与はなく、財産を任意に選択できることなど、自由度が高いことも特徴であると思います。また、財産承継は遺言も考えられますが、遺言は本人死亡時に効力が発生するのに対し、信託は契約時に効力が発生します。また、財産の承継が生じるタイミングは遺言では遺言者の死亡時ですが、信託は信託契約の定めによることとなります。
後見制度や遺言では対応できない部分の活用方法として現在注目がされており、高齢者の財産管理、事業承継や障害をもつ子の親の事例など、様々な分野で検討がされています。
信託契約は契約によって定められるため、かなり自由度は高いですが、受託者の財産分離をどのようにするか(不動産は登記ができますが、その他の財産についてはどのように分離するか)、委託者死亡時の相続問題についてどのように考えるか、など議論されている部分があります。
たとえば、委託者が不動産を信託し、第一受益者を委託者自身、第二受益者を妻、第三受益者をその長男、とした場合に、委託者が死亡した場合、妻は不動産信託の受益権者となります。この場合に、受益権を取得した妻に対し、その妻の長男や次男は遺留分減殺請求ができるのか、妻が死亡した場合に長男が受益権を承継した場合に、次男は長男に対し遺留分減殺請求ができるのか、などが問題になります。この点、委託者死亡時に、妻、長男は委託者から第一受益権、第二受益権を承継した、と考えることから、妻が死亡した際に、長男は妻から受益権を取得したとは考えないという考え方が現在有力です。ですので、第二次相続の際に信託において遺留分の問題が生じることはなさそうです。但し、この場合、委託者死亡時の妻及び長男の受益権取得は、財産権の取得となるため、遺留分減殺請求権の対象となる可能性が高いです。また、この場合の受益権をどのように評価するかについても具体的な指針はなく、裁判所の判断を待たざるを得ないという問題があります。さらに、受益権取得者が相続放棄をできるか、についても議論がなされており、これらについては実務的には裁判所の判断を待たざるを得ないところです。
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